私的俳句論・現在篇(24)

2006年12月08日 06:09

阿部青鞋(6)

  横たはる葡萄の房はくやしかろ

句集『ひとるたま』より。季語は「葡萄」で仲秋。

葡萄の木にある房は縦、収穫以後は横、と考えてしまうと、この句、あまり面白くありません。皿に載せられて目の前に置かれた葡萄の房を見て、“お前、口惜しいんだろ!?”って思ってしまった、なのだと。それで良いのだと思います。

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引用句典拠/阿部青鞋著『ひとるたま』(現代俳句協会/1983年発行)16頁

私的俳句論(97)

2006年12月08日 10:07

山口青邨(7)

  みちのくの町はいぶせき氷柱かな

昭和5年作。季語は「氷柱」で晩冬。

なぜ青邨の「陸奥」はすべて平仮名表記なのか(たぶん)、は、結局、「みちのくはわがふるさとよ歸る雁」だからだろうと思います。この句においても、「いぶせし/鬱悒し」は、「いとわしく、きたない」とか「むさくるしい」とかの意味よりも、「恋しさ、待ち遠しさなどのために気分が晴れず、うっとうしい」の意味であって、やはり郷愁なのでしょう。

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引用句典拠/山口青邨著『定本 雜草園』(東京美術/1976年発行)75、229頁

私的俳句論(98)

2006年12月08日 13:12

山口青邨(8)

  降り出して明るくなりぬ杜若

昭和5年作。季語は「杜若」で仲夏。

俳句にはよく雨が降ります。しかし、ただ降らせたのでは、それこそ芸がありません。それなりの工夫というものが必要でしょう。簡単には、どの様な雨がその対象に対して似合うかを考える、でしょうか。この句なども、「杜若」に似合う雨を考えた結果、と言えなくもありません。

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引用句典拠/山口青邨著『定本 雜草園』(東京美術/1976年発行)82頁

私的俳句論(99)

2006年12月08日 18:14

山口青邨(9)

  暑くなる蓴の池を去りにけり

昭和5年作。季語は「蓴」(「蓴菜」の傍題)で三夏。「花巻温泉にて」の前書が附されています。

例えば「暑くなるから蓴の池を去りにけり」は、散文なのです。あるいは「暑くなるので蓴の池を去りにけり」も、散文なのです。では、何故、「暑くなる蓴の池を去りにけり」とすれば韻文なのか、ですね。これが、きちんと説明できるようならば、実は、こんなに俳句に関わりはしないのです(ホントかな?)。と言う訳で、以上、無知なる私の自己弁護でした。

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引用句典拠/山口青邨著『定本 雜草園』(東京美術/1976年発行)85頁